全米日系人博物館のウェブサイトにリンクされている
東栄一郎「日本人の海外移住略史 1868年−1998年」に対する
批判→反論→再反論(その3)
※注意 
 この問題提起及び批判は、あくまでも全米日系人博物館が、「日本人の海外移住略史 1868年−1998年」という題でこの文書を公開することに問題があるのではないか、というもので、文責である東氏個人対するものではありません。改定案というのも、あくまでもそれを前提に考えたものです。

項目 内容

@「日本人の海外移住略史 1868年−1998年」原文

 1893年、外務省関係者、知識人、ジャーナリストなどが集まり「殖民協会」を設立しました。彼らは、日本も西洋の近代国家と同様、国外市場を拡大し余剰人口を送るべく海外へ向けて「発展」しなければならないと主張しました(5)。そして「殖民協会」は、1897年に榎本武揚会長を中心として、メキシコ南部に日本人農業定住地を建設する事業に着手しました。「榎本殖民地」と呼ばれたこの事業は失敗に終わりましたが、この後(6)1899年にペルーへ最初の契約労働者渡航が始まり、やがてラテンアメリカへの日本人渡航が盛んになりました。
A筆者の問題提起と改定案

(5)このような主張は、殖民協会だけのものではなく、自由民権運動の主張の一つだったことは歴史の常識です。当時の知識人やエリート層だけでなく、多くの国民は、近代国家とは、平等な条約に結ばれ、植民地を有するものと、ある意味で正確に理解していたのです。

◆改訂案「彼らは、日本も西洋の近代国家と同様、国外市場を拡大し余剰人口を送るべく海外へ向けて「発展」しなければならないと主張しました。」「彼らは、自由民権運動の主張と同じように、日本も西洋の近代国家と同様、国外市場を拡大し余剰人口を送るべく海外へ向けて「発展」しなければならないと主張しました。」

▼(6)榎本植民地事業が失敗に終わったのは事実ですが、メキシコに取り残された人々が日墨協働会社をつくったこと(上野久『メキシコ榎本殖民榎本武揚の理想と現実』、中公新書、1994)は書く必要があると思います。

◆改訂案「この事業は失敗に終わりましたが、この後」「この事業そのものは失敗に終わりましたが、移民の中から日墨協同会社が設立されました、また」

B東栄一郎氏からの反論

 ありませんでした。

C筆者の反論